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永瀬清子さんの「あけがたにくる人よ」 - 1 -

更新日:2024年11月12日


この「あけがたにくる人よ」という詩を読んだとき、奥深い詩だなぁと感じました。皆でいっしょに読み深めていきたい作品、わたしたちの宝物になる作品、そんなふうに思いました(^^)


わたしたちは、「言葉が持っている音声」との出逢いを愉しみに、朗読をします。「言葉が持っている音声」とは、言葉を語っている〈語り手〉の声です。現実世界では聞こえないけれど、虚構の作品世界では、聞こえているのかもしれません🎶


この詩の〈語り手〉は、「わたしはいま老いてしまって」と語っています。ながく生きた人物ですね。この人を、「ながこさん」と名付けてみましょう。(もちろん「ココさん」でも「かずこさん」でも👌です)名前を付けるのは、〈語り手〉が唯一無二の他者だと、強く意識するためです。


「この詩を創作したのは永瀬清子さんなのに、〈語り手〉は永瀬清子さんではないのですか?」


良い質問ですよね♪ この詩はフィクションですから、永瀬清子さんが、ご自身の体験をそのまま語ったものではありません。〈語り手〉は、永瀬清子さんではなく、永瀬清子さんが、この詩のために設定した人物です。先ほど、ながこさんと名付けましたね。「あけがたにくる人よ」という詩は、ながこさんが、ながこさんの体験を語っている…そう考えましょう(^^)


わたしたちは、ながこさんの体験と同じ体験を試みます。これが、「朗読する」ということです。朗読の定義は、【〈語り手〉の体験と同じ体験を試みる】でしたよね。朗読を重ねるうちに、ながこさんに対する理解は、徐々に深まっていきます。ながこさんを深く理解できたとき、ながこさんの音声(エッセンス)に出会えるかもしれません♪


当たり前のことですが、ながこさんの体験がわからないと、ながこさんの体験と同じ体験をすることはできませんね。

「ながこさん、どんな体験をしているのかしら…?」

これが、わたしたち朗読者の抱く大きな[問い]です。ながこさんの言葉を手がかりにして、ながこさんの体験と同じ体験をすることを目指して、ごいっしょに、観察と推察と朗読を愉しんでまいりましょう(^^♪

 
 
 

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