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文字で届くことを望む言葉。音声で届くことを望まない言葉。
- marikoroudoku
- 2023年12月13日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年6月25日
小説を朗読する際に、「どう音声表現しようかしら?(=どのような声を出そうかしら?どのような間を取ろうかしら?どのような緩急をつけようかしら?等々)」と、思ってはいないでしょうか?「朗読は音声表現」という通念を鵜呑みにすると、小説はその台本だと思ってしまいますよね…。そして、自分の作品理解が浅薄なことに気づかない。気づけない。だって…小説は音声で届けられるものだと思っているわけでしょう?ところが❗️優れた小説は奥が深くて、とうてい音声で聴き手に届けられる性質のものではない。
「じゃあ、小説は朗読できないの?」
いいご質問!「朗読は音声表現だ」と思い込んでいると、そうなりますよね。文章が、音声を必要とするものから音声を必要としないものに(=音声で届くものから文字で届くものに)変化したことで、音声表現としての朗読は存在意義を失いました。空洞化した朗読にしがみつくのではなくて、わたしたちは、文字で届く文章とセットになる朗読を、あらためて定義すればいい。それが生産的だと思います(^^)
【小説や詩の朗読は、〈語り手〉を追体験する行為である】
このように朗読を再定義することで、朗読は、小説や詩を読み深める手段となり得ます。〈語り手〉に注目するわたしたちの朗読は、小説や詩のベストパートナーです。さらにうれしいことに、この朗読は、オトナの脳を成長させるちからを持っています‼️
優れた小説や詩の朗読で、「脳育(*)」を楽しんでまいりましょう(^^♪
(*)脳育とは…
脳全体をバランスよく使うことで、脳内ネットワークを増やしていくイメージです。脳内ネットワークは、100歳になっても増やしていけるそう。わたしたちの脳って素晴らしいですね♪
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