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永瀬清子さんの「あけがたにくる人よ」- 2 -(対話バージョン)


今回は百合子さんとともに、永瀬清子さんの詩「あけがたにくる人よ」の朗読に取り組みます。皆さまも、一緒にお話ししている感じでお読みくださると嬉しいです(^^)


☆。。☆☆。…。。☆☆☆…。…。


タイトル「あけがたにくる人よ」

(一連目)

あけがたにくる人よ

ててっぽっぽうの声のする方から

私の所へしずかにしずかにくる人よ

一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく

私はいま老いてしまって

ほかの年よりと同じに

若かった日のことを千万遍恋うている


(二連目〜四連目)略


(五連目)

もう過ぎてしまった

いま来てもつぐなえぬ

一生は過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ

ててっぽっぽうの声のする方から

私の方へしずかにしずかにくる人よ

足音もなくて何しにくる人よ

涙流させにだけくる人よ

『あけがたにくる人よ』思潮社より


☆☆☆……。。。…☆。。…☆☆…


M(麻利子):朗読とは、〈語り手〉に注目する読書方法で、〈語り手〉の体験と同じ体験を試みる行為でしたね。

この「あけがたにくる人よ」の〈語り手〉は、自分のことを「私」と呼んでいます。この〈語り手〉を、他者として、しっかり意識するために、名前を付けましょう。百合子さん、どんな名前にしましょうか。


Y(百合子):きよこさんはどうでしょうか?


M:作者が永瀬清子さんですよね。〈語り手〉をきよこさんにすると、ひょっとしたら…作者の清子さんと混同しちゃう人が出てきてしまうかもしれませんね。


Y:作者と〈語り手〉って違うんですか?


M:良い質問ですね。この場合、作者と〈語り手〉は同一人物ではないんです。この詩はフィクションですから、永瀬清子さんが、ご自身の経験をそのまま語ったものではありません。永瀬清子さんが設定した〈語り手〉が、〈語り手〉自身の体験を語っている…そう考えるといいですね。


Y:作者と〈語り手〉は違うんだ…。〈語り手〉は、作者の永瀬清子さんが創り出した架空の人物なのですね。


M:そう考えると、この詩の理解を深めていけますよ(^^)

さて。「あけがたにくる人よ」の〈語り手〉は、自分のことを「私」と呼んでいますね。「私はいま老いてしまって」とあります。この〈語り手〉は、ながく生きてきた女性…と考えるのが妥当かもしれませんね。


Y:なるほど。そうですね。では、ながく生きていらっしゃるということで、“ながこさん”と名付けるのはどうでしょうか?


M:いいですね!

わたしたちは、「あけがたにくる人よ」の〈語り手〉を、ながこさんと名付けましょう。

ながこさんに対する理解を深めて、それと同時に、詩に対する理解も深めてまいりましょう♪


Y:これから、ながこさん理解を深める旅に出るわけですね。


M:その通りです。ながこさんの体験を探り、ながこさんと同じ体験を試みて、ながこさんに対する理解を深める旅ですね♪


Y:楽しみです、ワクワクします!


M:ステキ!ワクワクするのは大事ですね(^^)

まずは、ながこさんの体験を探ることから始めます。わたしたちに与えられた手がかりは、ながこさんの語りだけですよね。


Y:はい。ながこさんの語りがすべて。


M:その通りです。だからこそ、歪めることなく正しく受け取ることを、心がけましょうね。


Y:はい。ながこさんが、どのような体験をしているのか…ながこさんの語りをていねいに観察して、まっすぐに受け取った言葉を手がかりに、推察していきたいと思います!


M:ごいっしょに愉しみましょう(^^♪

まず一連目一行目の「あけがたにくる人よ」という語り。ながこさんのこの語りは、ながこさんのどのような体験から生まれたのでしょうね?


Y:この詩の中に出てくる昔の恋人に出会って、その人に、呼びかけているんだと思います。


M:そうかもしれませんね。この呼びかけって、直接その人に呼びかけているのでしょうか。


Y:ん〜…違う気がします。実在する人に直接呼びかけるときは、「あなた」とか、「〇〇さん」とか「〇〇くん」とか、名前を呼ぶように思います。ニックネームで呼びかけるかもしれません。


M:わたしもそう思います。「あけがたにくる人よ」って、直接その人に呼びかけてる感じはしませんね。

「〜よ」って、詩や歌詞で見かける呼びかけの言葉ですよね。「愛しい人よ」とか「かわいい人よ」とか…


Y:呼びかけてはいるけれども、相手は、その場にはいない…のかな?


M:相手は、ながこさんのイメージの中にいるように感じますね。


Y:なるほど…わかる気がします。そういうことなんですね。


M:ところで、「あけがたにくる人」という言葉は、呼びかけたときに、その場でスッと生まれた言葉なのでしょうか?


Y:その場で生まれた言葉というより、時間をかけて生まれた言葉のように感じます。


M:わたしもそう感じます。ということは…


Y:ん…ということは…この相手は、これまでにも複数回、ながこさんのもとを訪れている、ということでしょうか?


M:そういうことですよね。それでは、初回について考えてみましょうか。つまり、この「あけがたにくる人」が、初めてながこさんのイメージの中に現れたときの状況から考えてみましょう。


Y:あけがたにくる人なのですから、初回も、あけがただったのではないでしょうか。


M:きっとそうですね。ある日、ながこさんは、夜中眠っていて、その眠りからふと目覚めた。そして、「あぁ、あけがただわ…」と思ったときに、かつて恋した人の気配を感じたのかもしれませんね。


Y:きっとそうですね!朝靄の向こうに、その人の姿が見えたのかもしれませんよね。


M:そうかもしれませんね。見えたにせよ、気配や匂いを感じたにせよ、夢うつつの状態のながこさんは、だれかの存在をキャッチして、(あ!かつて恋した人だ)と直感した…と、そういう流れだったんでしょうね。


Y:なるほど。

そして、そういうことが、複数回続いたんですね。


M:そうでしょうね。あけがた、ながこさんが夢うつつ状態でいるときに、かつて恋した人が登場する。そういうことが、何回か続いたのだでしょう。そのうちに、ながこさんは、彼のことを「あけがたにくる人」と呼ぶようになったのではないでしょうか?


Y:きっとそうだと思います!


M:ながこさんは、あるとき、ふと、呼びかけてみようという気になって、「あけがたにくる人よ」と呼びかけてみたのかもしれませんね。


Y:わたし、なんとなく呼びかけてみたくなった心境…わかる気がします。


M:そうですね。一回の呼びかけで終わりませんね。


Y:はい。続く二行目と三行目も、ながこさんは、彼に呼びかけています。


M:そうですね。「ててっぽっぽうの声のする方から 私の所へしずかにしずかにくる人よ」の文末「くる人よ」で、呼びかけているとわかりますね。一行目の「あけがたにくる人よ」に比べてずいぶん情報が多いですね。


Y:多いです。えーっと、ながこさんは、まず、その人がどこから来るのかを語っています。彼は、「ててっぽっぽうの声のする方から」来ます。


M:そうですね。ながこさんの意識は、「あけがたにくる人」がいる場所に、集中していたのでしょうね。意識を集中させていたから、鳥の鳴き声を聞くことができたのかもしれませんね。


Y:たしかに…。意識を集中させていると、かすかな音も聞こえます。


M:「あけがたにくる人」がいる方で、鳥が鳴いている。ながこさんは、その鳴き声に聞き覚えがあったのでしょう。「あ、ててっぽっぽうの声だ」と、すぐにわかった。


Y:それで、「ててっぽっぽうの声のする方」という言葉が、ながこさんから生まれたのですね!


M:ええ。ててっぽっぽうというのは、山鳩の鳴き声ですね。雄が雌に求愛する際の鳴き声だそうですよ。


Y:そうなんですね!ながこさんのもとに、「あけがたにくる人」がやってくるシーンにぴったり!


M:ですね。ながこさんは、「ててっぽっぽうの声のする方」と場所を限定して、そして、「から」という言葉を続けましたね。このことから、ながこさんが、その場所を、「あけがたにくる人」の動きの起点だと認識していることがわかりますよね。


Y:なるほど。「から」という言葉は、続く三行目の、「私の所へ」という語りに、すごく繋がりますね。


M:その通りです。「〜から〜へ」で、「あけがたにくる人」の歩む道が見えてきますものね。どこから来るのかとともに、どこへ来るのかも、ながこさんにとっては、大事なことだったのでしょうね。


Y:はい。きっとそうだと思います。


M:そして、「私の所へ」のあと、「しずかにしずかにくる人よ」と語りは続きます。ながこさんは、どこからくるのか、どこへくるのか、どのようにくるのか…の順で、「あけがたにくる人」をとらえているのですね。


Y:語りの順番によって、ながこさんの体験を、しっかり理解することができます。


M:本当にそうですね。さて。ながこさんは、どのように「あけがたにくる人」がくると感じているのでしょうか。


Y:ながこさんは、「しずかにしずかにくる」と語っています。「あけがたにくる人」の動きを、本当にかすかなものだと感じているのだと思います。


M:そうですね。ゆっくりゆったりとした動きを感じながら、ながこさんは、「あけがたにくる人」に呼びかけるという体験をしたのですね。

次に、ながこさんは、どのような体験をしていますか?


Y:わたしが想像した体験とは違う体験を、ながこさんはしています。呼びかけたのならば、続いて、二人の思い出を語ったり、「あけがたにくる人」に関する情報のようなものを語ったりするのが自然だと思うんです。わたしなら、そうします。でも、ながこさんは、「一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく」と、自分自身の人生を語ります。「えっ?ながこさん、どうしちゃったの?」って感じです。


M:たしかに違和感があるかも…。ではあらためて、語り全体をみていきましょう。この詩を何度でも読み重ねてみてください。


〜詩全体を観察する時間〜


M:百合子さん、なにか気づいたことはありますか?


Y:五連目の四行目と五行目にも、「あけがたにくる人よ ててっぽっぽうの声のする方から」とあります。一連目と同じです!


M:そう!ながこさんは、最後の連でも、「あけがたにくる人よ ててっぽっぽうの声のする方から」って語っていますね。次の行はどうでしょう?


→(ブログ・永瀬清子さんの「あけがたにくる人よ」-3- へと続きます)



★★★一つひとつの語りをていねいに観察する[解剖学的アプローチ]と、語り全体を観察する[生理学的アプローチ]と、朗読で追体験する[身体的アプローチ]で、ながこさん理解を深めてまいりましょう(^^♪ ★★★

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