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発話のメカニズムをていねいに探る 例えば…森絵都さんの『こりす物語』

更新日:2024年8月19日


いつもブログをお読みくださってありがとうございます。今日も文学作品を朗読して、脳育を愉しんでいらっしゃいますか♪


さて。わたしたち朗読者は、言葉が生まれる際の知覚・思考・行動をていねいに探り、〈語り手〉や発話者(登場人物)に対する理解を少しずつ深めていって、同じ体験を試みます。〈語り手〉によって語られた言葉/発話者によって発話された言葉がもっている音声を知りたいからです。たとえば、森絵都さんの作品『こりす物語』の冒頭部分をみてみましょうか。〈語り手〉は次のように語っています。


ちいさな、ちいさな、りすでした。


音声表現するひと(=声を与えようとするひと)は、観察と推察に時間をかけず、(わかったわ。この〈語り手〉は、りすがちいさいことを強調したいのね)と解釈して、その解釈を音声表現に反映させようとしがち。どのような声を出そうか、どこで間を取ろうか等々を工夫する。これは、いまの脳で処理しようとする態度といえそうです。


朗読したいひと(=体験しようとするひと)は、解釈しません。解釈するとはわかったことにする行為ですから、解釈せずに、〈語り手〉を理解しようとします。理解するために、しっかり観察します。(こりすを観るという知覚が刺激となって思考がはじまって、この3つの語りが生まれたのね。「ちいさな」と語ったあとに、読点がある。ということは、語らない時間が生まれてるっていうことね。そのあとに、もう一度「ちいさな」という言葉が生まれている。そのあとの読点は、また無言の時間ね。そして、「りすでした」と語っている。一つ目の「ちいさな」と、二つ目の「ちいさな」は、どのような思考から生まれたのかしら?まったく同じ思考ではないはず。もしまったく同じなら、「ちいさなちいさな」でも良さそうだもの。この〈語り手〉は、「ちいさな」と語ったあとに、無言になった。無言の時間で、なにを考えたのかしら?それとも、行動を変えたのかな?…一つ目の「ちいさな」は、動物全体のなかで小動物だと認識して生まれた言葉で、二つ目の「ちいさな」は、小動物のなかでもとくに小さい、という判断から生まれた言葉なのかもしれない。じゃあ次の「りすでした」はどのように生まれたのかしら?二つ目の読点が示している無言の時間。この時間に、この〈語り手〉はなにをしたのかしら…あ!観察の方法を変えたのかもしれない。大きいか小さいかという大きさを測る眼のものさしを、なにものかを知るための形や色を測る眼のものさしに変えて観察した結果、あらためて、りすという動物の種類に属していることをしっかり確認したのかも。だから、「りすでした」という言葉が生まれたのね。こりすがりすであることは、あまりに当たり前だから見過ごしがちだけど、大事なのかな…)等々、ていねいに観察して、ていねいに推察します。と同時に、自分の身体を使って、〈語り手〉と同じ体験を試みます。すなわち、想像力で創り出したこりすを観ます。まずは、大きさを測る眼を意識して、こりすを観察します。そして、〈語り手〉と同じように脳を使います。小動物の部類だなと認識します。「ちいさな」という言葉が、自分から自然に生まれてくるのを愉しみましょう。次に、あらためて小動物のなかでの大きさを、眼で測ります。小さいなかでもとくに小さいなという判断から、「ちいさな」という言葉が生まれます。さらに、形状を測る眼を意識してこりすを観察します。形や色や質感などからあらためてりすだと認識したことで、「りすでした」という言葉が自分から生まれてきます。このように進めていくと、(そうか。〈語り手〉はこんなふうにこりすを観ているのだな)と〈語り手〉に対する理解が深まります。音声が気になりますか?音声は、自分から言葉が生まれるときについてきているはずですよ(^^)


もう一つ。今度は、『こりす物語』の主役ー登場人物であるこりすの発話を観察しましょうか。こりすが、生まれてはじめて白い紙を手にしたときの発話です。だれかに伝えるために用意した言葉ではなく、思考とともに生まれた言葉。


白って、ふしぎな色。


音声表現するひと(=声を与えようとするひと)は、観察することもなく、(生まれてはじめて出会うまっ白に感激したのね!ステキな色だってワクワクしてるはず。きっと、この色は特別だと思ってるわ)と解釈して、それを音声表現に反映させようとしがちです。「白って」のあとの読点も、無視してしまうかもしれません。でも…観察もせず、すなわち、見えるものを見ようともしないで、見えない気持ちや心情を解釈するのは、じつは危ういことですね。


朗読したいひと(=体験しようとするひと)は、まず、こりすを観察して、見えるものを見ようとすることからはじめます。(紙の白い色に注目してるのね。「白って」のあとに読点がある。ということは、ここで、こりすは言葉が出てこない…無言の時間が生まれている。この無言の時間に、白を表すぴったりの言葉を探しているのね。白はステキな色だと思ってるのだろうな。目はキラキラ輝いているかな。きっとワクワクの感情を抱きながらの思考よね。ほかのいろんな色も思い浮かべて比較しているのかも…。でも、これだっていう言葉が選べずに、「ふしぎな色」という言葉が生まれたのかしら。答えを出すより、考え続けることを選んだのかもしれない…)等々、考察を進めるうちに、徐々にこりすの脳内が見えてくるように感じます。身体も使って、こりすと同じ体験を試みます。まず、想像力で白色を観ます。胸が躍ります。もっともっと白色のことをわかりたくなって、思考を始めると同時に「白って」という言葉が、自分から生まれてきます。白にぴったりの言葉を探します。クエスチョンマークが脳内にあふれてくる…そんなこりすの思考を同じようにたどったときに、「ふしぎな色」という言葉は、自分から自然に生まれてきます。もちろん、音声は、言葉が生まれるときについてきます(^^♪


他者の言葉がどのように生まれているのかは、そうそう簡単にわかるものではありません。まずは、見えるものをきちんと観察して、順を追ってていねいに推察して、身体も使って同じ体験をして、ようやく少しずつ理解できてくるものなのでしょう。言葉を大切に扱うことは、他者を大切にすることに、きっと、つながっていきます。わたしたちは、“音声表現するひと”ではなく、“朗読するひと”になりたいですね☆




ちなみに『こりす物語』の後半には、「リス科動物」「りすみょうり」「全国のりすのはげみに」といった言葉が出てきます。やはり…りすであることは、こりすの大切なアイデンティティなのだとわかります。同じく後半。絵を描く際に心がけていることを問われたこりすは、「心がけているのは、紙が白いのはとくべつなことだとわすれないことです」と答えます。こりすは、白についてずっと考え続けているのでしょう。『こりす物語』は、吟味された句読点と言葉で創作されています。じっくり付き合いたい文学作品のひとつです(^^)

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