言葉…自分から生まれていますか? 例えば『夢十夜』「第一夜」のラストシーン

いつもブログをお読みくださってありがとうございます!今日も文学作品の朗読、言い換えると、〈語り手〉を追体験して脳を育てる読書、愉しんでいらっしゃいますか?声を伴うか伴わないかにかかわらず、〈語り手〉追体験を試みているならば、どちらも文学作品の朗読ですね(^^)
さて。文学作品を、音声表現の台本だと捉えていると、作品から学ぶことはできず、脳を育てる読書にはなりません。文学作品から学ぶには、「音声表現する」のではなく、「朗読する」。
文学作品の語りの言葉は、〈語り手〉から、そのとき、その場で、生まれているのでしたね。それって、わたしたちが朗読するとき…すなわち〈語り手〉追体験を試みるとき、言葉は、朗読するわたしたちから、生まれてくるということ。いいですか?あらかじめ用意された言葉のように、解釈したり、創意工夫して音声を与える言葉ではないということですね。
ちなみに。夏目漱石『夢十夜』「第一夜」の最後の段落は、学びの宝庫だと思います。
たとえば…
[暁の星がたった一つ瞬いていた。]
という語りを考えてみましょうか。
「ふーん、暁の星が、たった一つ瞬いていたのね〜」とすぐにわかった気になって、「どの辺りにどんなふうに見えるのかしら」と自分の好きなように夜空に星を見て、「どんな声を出そうかしら、どう表現しようかしら」になってはいけませんよ。
朗読するとは〈語り手〉と同じ体験をしてみることですから、まず〈語り手〉の体験を探るのでしたね。「〈語り手〉の男から、なぜ「暁の星がたった一つ瞬いていた」という語りが生まれたのだろう?男はどのような体験をしているのだろう?」と考えるのでしたよね。「前の語りで、男は遠い空を見たんだった。きっと、その空に一つの星を見つけたのだな。星が瞬いているのを見て、この語りが生まれたのだろうな。なぜ「暁の星」という言葉を選んだのだろう?夜空の色合いかな?日が落ちてからの時間の経過を感じているのかな?もうすぐ夜が明けるという体感が、100年待つ間に培われているのだろうな。なぜ「たった一つ」という言葉が必要なのだろう?ほかに星が見えていないことを強く認識しているのだろうな。暁の星は目立ってるんだろうな。それにしても、「輝いていた」ではダメなのだろうか?「瞬いていた」と「輝いていた」では、見えかたが違うのだろうな。ちらちらと明滅しているなぁと感じたから、「瞬いていた」という言葉が出てきたのだろうな。ちらちらと明滅している現象を、ちゃんとキャッチした男には、(星がなにかしらの合図を自分に送っている…)と感じられたのかもしれないな。いったいなんの合図なのだろうかと考えている男から、「暁の星がたった一つ瞬いていた」という言葉が生まれたのかもしれないな。そう考えると、「この時始めて気がついた」という次の語りとも整合性がとれるな」等々、男の知覚や思考について、言葉を手がかりにていねいに考えることで、男に対する理解が少しずつ進んで、男を追体験する(=男と同じ体験をする)ことが可能になってきますね(^^)
自分の好きなように夜空に星を見るのではなく、男が見ているように夜空に星を見て、男が受けたように刺激を受けて、男が認識したようにその現象を認識して、「暁の星がたった一つ瞬いていた」という言葉が、自分から生まれてくる体験をするのです!言葉が生まれるとき、言葉とともに存在している音も、自然に生まれますからね(^^)
追体験してみたけれど、「暁の星がたった一つ瞬いていた」という語りは生まれてこずに、「暁の星が瞬いていた」という語りになったり、「星がたった一つ瞬いていた」という語りになったりするかもしれませんね。前者は、ほかに星が見えていないという認識が薄いのかもしれませんし、後者は、夜空の雰囲気や時間の感覚を持てていないのかもしれません。自分と男の体験の違いに気づけてよかったわと感謝して、あらためて男の追体験を試みて、男の脳内ネットワークを、自分の脳内につくっていきましょう♪
さあ、もう少しだけ続けます。暁の星が、自分に合図を送っている。そう感じた男は、「いったいなんの合図だろうか?」と思考をスタートさせたことでしょう。“ひとは死んだら星になる”といった類のどこかで聞いたような文言を思い出し、「あ!あの星は女…。女が星になったことを自分に伝えている」と直観したのかもしれません。次の語りは、カギ括弧付きの「百年はもう来ていたんだな」ですから、「女は百合の花になって会いに来たんだ。女は自分を騙してなかった。ちゃんと約束を果たしたんだ」と納得もしたのでしょう。「百合の花も、星も、女だというのは、いったいどういうことなんだ?」という新たな問いが生まれてきて、「そうか!百合の花に宿った女の魂は、自分が接吻をしたことで、百合の花から離れ、暁の星に宿ったのか…」と考えたかもしれません。生命の不思議に思いを馳せ、魂と肉体や物体との関係も知ったことでしょう。「埋めた女の肉体はどうなったのだろう?真珠貝で掘った穴の中で、百年かけて土に還ったのだろうか。そして、美しい百合の花へと姿を変えたのだろうか」とか、「天から落ちてくる星の破片は、はるかの上から落ちてくる露を受け取るための目印だったに違いない」とか、「自分を坐らせたのは、百合の花に接吻させて、その結果、星になるためだったか…」とか。宇宙の摂理etcさまざまなことを考えたのだろうと推察できます。しかし、そのような語りはありません。もし男が、順を追ってこれらのことを考えたのならば、なんらかの言葉が生まれたはずなのに…。どういうことでしょうか。
男の思考は、すべて、一瞬のうちに、悟りのように、男に訪れたのではなかろうかと思われてきます。この一瞬の悟りが、男の魂をひどく揺さぶったがゆえに、カギ括弧付きの特別な語りとして、「百年はもう来ていたんだな」という感慨深い言葉が、男から生まれ出たのだろうなと…。どうですか?これで腑に落ちたのではありませんか?このように考察・推察を重ねてきて、ようやく、この男が『第一夜』で語ろうとしていることが掴めるようになりますね。すると、作品の随所で発生するさまざまな語りの違和感が、驚くほどきれいに解消されていきます。さすが漱石先生!すごい‼️
〈語り手〉の男の体験を、ていねいに順を追って探ることで、男の語りも、登場人物の女の発話も、すんなりと追体験できるようになってきますね♪身体も使って追体験するから、〈語り手〉の男に対する理解は、さらに深まります(^^)
ところで「暁」には、“念願が実現したその時”という意味がありますよね。「暁の星」って、やっぱり、星になるという念願を実現させたその時の女⁉️
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