★ 〜朗読のある読書会〜、有意義な時間をありがとうございました!
- marikoroudoku
- 2023年9月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年8月26日
先日、『朗読のある読書会』を開催しました(^^♪
小説の朗読や聴読について30分ほどお話ししてから、一つの作品(朗読で30分ほど)を4名でリレー朗読して、最後に、ご参加くださった聴読者の皆さまから感想をいただく、という流れで進めました。皆さま素晴らしい集中力でしたね!お疲れさまでした。感謝の気持ちでいっぱいです(^^)
お力を貸してくださったホールの担当者さま、あたたかいご配慮をいただき、心よりありがとうございました。
朗読してくださった皆さまの感想から一部抜粋して(コメントをすこし添えて)ご紹介します♪
ひろえさま:「自分の経験で「こういうことね」と『解釈』を加えて読むと、まったく別の作品世界になってしまいます。レッスンでは、作品に書かれていることを忠実に読んでいくことを学べたと思います。繰り返し繰り返し、朗読するうちに、語り手が本当に語っていることを感じ取っていけた気がします。」
→読み深めていけるステキな作品に出会うことができてよかったです♪ 「作品に書かれていることを忠実に読んでいく」というのは、「〈語り手〉の語りを歪めずに受け取る」ということですよね。レッスンでご一緒に〈語り手〉理解を深めていく時間はとても豊かでした!ありがとうございました(^^)
ひろみさま:「みなさんの感想を聞いて、人によって作品世界がこんなにも違うんだなと思いました😳💡」
→そうですよね。脳内にどのような〈作品世界〉が生まれているのか⁉️読者一人ひとり異なりますから、それを伝えていただいて驚きましたよね☺️
小説を享受する際には、〈語り手〉が創ろうとしている〈作品世界〉を「〈語り手〉と共に創ろう」とする思いが大切なのでしょう。それが無いと、〈語り手〉の語っていないことに興味を持ったり、自分勝手な〈作品世界〉を創ったりしがちで、残念ながら…、小説を小説として享受する(=小説のチカラを引き出す)ことはできません。レッスンでは、〈語り手〉との共同作業で脳内に〈作品世界〉を創るという「小説を享受する愉しみ」をご一緒しました。ありがとうございました(^^)
まさこさま:「「場」でできあがる関係性と言うか……聴読者の皆さんと「何か」を共有できたという感覚に、驚きました。」
「「空間の大きさを感じることができた」というご感想に、改めて、頑張ろう!と思いました。」
→現実世界と虚構の〈作品世界〉が重なる場に、朗読者と聴読者が集えましたね♪熱心なお取り組みのおかげです。ありがとうございました(^^)
→会場に〈作品世界〉の空間が広がりました。ブログをお読みくださる皆さまに誤解が生まれないよう補足しておきます。「小説の朗読は音声表現ではない」ということを、時間はかかっても、皆さまとしっかり共有したいと思っています。「空間の大きさを私が音声で表現しよう」ではないのです。〈語り手〉の語りによって空間の大きさを感じた朗読者の身体は、空間の大きさに応じて自然に変わります。その結果として、音声が変わるのです。音声を変えて空間の大きさを表現しようとする(=自分の靴を脱がない)行為は、小説を朗読する(=〈語り手〉を追体験する)行為と矛盾してしまいます。(注*①)
聴読する際にも、朗読を朗読者の表現と捉えてしまうと、そのとたんに、〈作品世界〉が他人事になってしまいます。自分ごととして捉えづらくなり、大変もったいないと思います。
(注*①)〈語り手〉を追体験するにあたって、わたしたちは〈語り手〉を理解しようとしますが、自分の靴を履いたままでは理解できないのが、小説の〈語り手〉です。自分の靴を脱いで〈語り手〉の靴を履くことで、見えてくる景色があります♪〈語り手〉を深く理解できたとき、わたしたち朗読者は、ふさわしい音を“授って”います(^^)
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