「わかっている」という誤解
- marikoroudoku
- 6月17日
- 読了時間: 1分
更新日:7月22日

私たちは、ときに、「わかったつもり」で作品について語ったり、感情を込めて読み上げたりしてはいないでしょうか。
『新しい朗読』は、「わかっている」という思い込みをそっとほぐしてくれる営みです。
私たちは朗読で、一つひとつの短編・掌編小説や詩を、より深く理解することに取り組んでいます。
作品を評価したり批評したりするのは、理解の努力を十分に重ねたあとーーそうあるべきではないでしょうか。けれど私たちは、その努力を怠ったまま、つい簡単に言葉を投げかけてしまいがちです。
それはもしかすると、自分がまだ理解していないということに、気づいていないからなのかもしれません。
『新しい朗読』の実践は、私たちに「理解の浅さ」や「理解のズレ」を教えてくれます。そして、理解とは一足飛びに得られるものではなく、少しずつ深めていけるものなのだという確信を与えてくれます。
真摯に言葉を紡ぐ作者と、作品を受け継いでくれた先人に心から感謝し、語り手とともに虚構世界を生きる朗読を、これからも大切に育てていきたいと願っています。
あなたが「わかった」ことにしたその作品、もう一度、語り手に寄り添う「朗読という読書法」で読んでみてはいかがでしょうか。
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