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体験の数だけ音声は生まれる

更新日:6 日前


[体験の数だけ音声は生まれる]


「かなしみ」という言葉は、「悲しみ」「哀しみ」「愛しみ」「美しみ」などさまざまな漢字で表せると、批評家・若松英輔さんがテレビ番組で話していらっしゃいました。

若松さんのこのお話が、心に引っかかっていた記憶と繋がりました。


――「朗読では、漢字の違いは届けられないね」


愛知淑徳大学大学院で朗読研究をしていた時期に、恩師である現代詩作家・荒川洋治さんがかけてくださった言葉に、モヤモヤしながら頷いた記憶です。


当時はまだ、『新しい朗読』が自分の中で確立できていなかったのでしょう。いまなら、モヤモヤの理由を説明できそうです。


たしかに従来の朗読では、漢字の違いまで扱うことは難しいでしょう。文字で「哀しみ」と知らない聞き手に、「かなしみ」という音声だけで「哀しみ」という漢字までは伝わらない。私もそう思います。


ただ、これは、「朗読=音声表現」という朗読の捉え方に問題があるのではないでしょうか。


『新しい朗読』における音声は、朗読者の体験が表出したものです。たとえば、悲しみ寄りの哀しみとか、愛しみを一匙まぜたような哀しみとか…体験の数だけ音声は生まれます。漢字の数など比にはなりません。


そして、『新しい朗読』における聞き手は、「哀しみ」という文字を知っています。知っているのみならず、その「哀しみ」を自分自身のものとして体験しようと試みた朗読者です。「当の朗読者」の哀しみの体験は、「聞き手である朗読者」にちゃんと響きます。



音声を目的にしないのが、『新しい朗読』です。音声は、語り手の体験に近づくための手段に過ぎません。主役はあくまでも体験であり、音声は脇役。それにも関わらず、音声の可能性は、『新しい朗読』によって無限に開かれるのです。なんとも不思議なことですね。

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