新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法 序文

『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』と題して文章を書いています(^^♪
全六章をひとまず書き終わり、いま推敲中です(本になるかな〜♡)。序文は完成しましたので、よろしければお読みください(^^)
【序文】
かつて朗読は、声を出して読む行為であり、声による伝達と表現の手段だった。
なぜ過去形なのか。それには理由がある。
日本では明治時代の半ば、小説という新しい文学ジャンルが誕生した。それは、作者によって虚構世界内に設定された明確な「語り手」が、物語を語り進めるというものである。
小説の誕生に伴い、文学の言葉は、単なる伝達の道具から、「語り手」の体験を伴うものへと変化した。文学作品の読者は、語り手の内面に深く入り込むことを求められるようになった。そして朗読は、声による伝達と表現の手段という役割を終えた。声を出して読むという行為自体も次第に減り、読書シーンにおける朗読は姿を消していった。
朗読が衰退した後、文学作品の読書シーンでは黙読が主流となった。黙読だと、読者が自分のペースで、語り手の言葉とじっくり向き合える。当時は、進化した文学に最良の読書法だと思われたのかもしれない。
しかし、黙読は、語り手や他の読者との開かれた対話を欠くことで、個人の知識や経験に閉じこもる構造を持っている。語り手にさらに迫り、虚構の作品世界を豊かに享受できる読書法があるのではないだろうか?
(頭だけではなく)身体も使って語り手と繋がる可能性を見い出す読書法、他の読者とともに作品世界を共有し、その受容を深める読書法として、「新しい朗読」を提案したいと思う。
Comments