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語り手は現場主義① なぜ虚構世界が必要なのか?

更新日:5月19日


[語り手は現場主義① なぜ虚構世界が必要なのか?]


なぜ、わざわざ虚構世界を創る必要があるのか?なぜ、語り手は「現場主義」なのか?


ずいぶん前になりますが、『戦争を知らない世代に平和をどのように伝えていくのか』をテーマに谷川俊太郎さんが語るインタビュー記事を読んだとき、長年の問いに答えをもらったように感じました。


[戦争体験をした人が減り続けている現在、語り部的なことをやっている人たちがいて、とにかく伝えなきゃいけないというのは確かにあるんだけど、無理だと思う。録音、録画でとっておくことができてもメディアを通すと違う。だから、作品が大事。フィクションで良いものがあれば、その感覚というか、その経験が蘇るんじゃないかという気がする。]


このような内容でした。「その感覚・その経験が蘇る」というのは、他人事ではなく、自分ごととして体験できるということなのでしょう。その役割を担うのが、フィクション―虚構世界なのだというお話には、うなずかれる方も多いのではないでしょうか。


だからこそ作者は、全身全霊をかけて虚構世界を創り出そうとするのでしょう。そして、そのために、作品に最適な「語り手」を設定します。語り手は、虚構世界の「いま、ここ」を体験し、その体験とともに生まれる言葉で、実際に、虚構世界を立ち上げます。語り手は、まさに「現場主義」といえます。


現場主義の語り手の言葉には、深い力が宿っています。すなわち語り手は、読者に、その体験を読者自らのものとして味わうことを促すのです。


あなたも、ぜひ『新しい朗読』を通して、語り手の体験を「自分ごと」として味わってみませんか?

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Salon de Marikoのロゴは、ハートの形をモチーフにしています。文学作品を味わう過程と時間を、朗読で、人と共にすることで、心(脳)が豊かに育つことを表しています。また「サロン」は、人の温かみのある上質な学びの時空間を表しています。

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