語り手は現場主義②
- marikoroudoku
- 5月18日
- 読了時間: 2分
更新日:5月20日

[語り手は現場主義② 『はまべのいす』冒頭部分のレッスン風景]
朗読者は、「推察」「体験」という二つの段階を繰り返しながら、語り手の体験に近づきます。
この日のレッスンでも、まず、言葉を手がかりにして語り手の体験を皆で推察しました。
以下は、『はまべのいす』の冒頭部分です。それぞれの文に番号を付けておきますね。語り手は、ハマさんと名付けましょうか。
①だれが置いていったのか、すなはまに、いすがぽつんとありました。②ところどころペンキのはげた、白いいすです。
③いすは、だれかを待つように、ずっと海を見ています。
④病院のベッドの上で、ひろ君も、ずっといすを見ています。
言葉を手がかりにする段階では、解剖学的アプローチと生理学的アプローチを組み合わせて、ハマさんの体験(身体のありよう・五感の働き・脳の働き)を推察します。その結果、ハマさんは、①②③の言葉が生まれるときは「はまべ」にいて、④の言葉が生まれるときは「病室」にいると推察しました。
語り手は、現場主義でしたよね。「いま、ここ」で生まれる言葉、すなわち、自分の体験とともに生まれる言葉にいちばん力が宿るから、ハマさんも現場にいます。①②③の現場は浜辺、④の現場は病室ですね。
Kさんが「①②③の言葉は、病室にいるハマさんから生まれたのかもしれませんね」と発言してくださいました。「ひょっとすると病室の窓からいすを見ているのかも…」
そうなんです。頭で考えると「それもあり」です。では次の段階、つまり、言葉を離れて「体験」してみると、どうでしょうか?
「はまべ」ではなく「すなはま」という言葉がすんなり出てくるのは、裸足で砂を感じて「すなはまだ」と認知しているときなんですよね。
「ところどころペンキのはげた」という認識も、遠くで見ているときではなく、近寄って、いろいろな角度からいすを眺めまわしたときに生まれます。
③④についても、ハマさんといすと海の位置関係が、ハマさんとひろ君といすの位置関係へと、うまく移動するから生まれる認識なのだと感じられます。
言葉は体験とともに生まれるもの。実際に、想像力と自分の身体・五感・脳を使って体験してみると…このような発見があるのです。Kさんも、いよいよ[語り手の現場主義]に納得されたご様子でした。
さあ、あなたも『新しい朗読』を通して、ハマさんとともに砂浜に立ち、心地よい潮風と波の音に包まれてみませんか?
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