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語り手は現場主義② 山下明生作『はまべのいす』

更新日:6月11日


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[語り手は現場主義② 『はまべのいす』冒頭部分のレッスン風景]


この日のレッスンでは、山下明生さんの作品に取り組みました。


以下は、『はまべのいす』の冒頭部分です。それぞれの文に番号を付けておきますね。語り手は、ハマさんと名付けましょうか。


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①だれが置いていったのか、すなはまに、いすがぽつんとありました。②ところどころペンキのはげた、白いいすです。

③いすは、だれかを待つように、ずっと海を見ています。

④病院のベッドの上で、ひろ君も、ずっといすを見ています。

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いつものように、まずは、〈言葉を手がかりにして語り手の体験を推察する〉段階。解剖学的アプローチと生理学的アプローチを組み合わせて、ハマさんの体験(身体のありよう・五感の働き・脳の働き)を、皆でていねいに探っていきました。


語り手は、現場主義でしたよね。「いま、ここ」で生まれる言葉、すなわち、自分の体験とともに生まれる言葉に、いちばん力が宿ります。ですからハマさんも、きっと現場にいるはずです。

皆で、ハマさんは①②③の言葉が生まれるときは「はまべ」にいて、④の言葉が生まれるときは「病室」にいるよね、と推察を進めていたとき、Kさんが次のような発言をしてくださいました。

「①②③の言葉は、病室にいるハマさんから生まれたのかもしれませんね。ひょっとすると病室の窓からいすを見ているのかも…」

そうなんです。頭で考えると「それもあり」です。


私たちは、次の〈言葉を離れて体験を試みる〉段階へと進みました。実際に自らの身体・五感・脳を使ってみると、「はまべ」ではなく「すなはま」という言葉がすんなり出てくるのは、裸足で砂を感じて「すなはまだ」と認知しているときなんですよね。

「ところどころペンキのはげた」という認識も、遠くで見ているときではなく、近寄って、いろいろな角度からいすを眺めまわしたときに生まれます。

③④についても、ハマさんといすと海の位置関係が、ハマさんとひろ君といすの位置関係へと、うまく移動するから生まれる認識なのだと感じられます。


言葉は体験とともに生まれるもの。実際に、想像力と自分の身体・五感・脳を使って体験してみると、このような発見があるのです。Kさんも、いよいよ[語り手の現場主義]に納得されたご様子でした。


さあ、あなたも『新しい朗読』を通して、ハマさんとともに砂浜に立ち、裸足で砂の感触を確かめながら、心地よい潮風と波の音に包まれてみませんか?

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