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朗読の定義

更新日:2024年8月26日

朗読は、朗読だけで存在するわけではありません。朗読は、いつも文章ととともにありますよね。そう、朗読は文章とセットで存在します(^^)


文章には、音声で届けることを前提とした文章もあれば、文字で届けることを前提とした文章もあります。

前者の中には、アナウンス原稿の文章や、上演台本の文章が、後者の中には、小説の文章がありますね。


では、それぞれの文章とセットの朗読は、いったいどのようなものでしょうか❓


アナウンス原稿や上演台本の文章は、音声を伴って完成する文章です。これらの文章とセットの朗読は、声を出して読む行為であり、朗読者の音声表現だといえるでしょう。朗読者が語り手になればいいのです。


それらとは違い、文字で一人ひとりの読者に届く文章、音声で聴き手に届けることはできない文章があります。例えば…芥川龍之介や志賀直哉の奥深い小説の文章です。こういった文章とセットの朗読は、音声表現ではありえませんね。


小説誕生以降の世界を生きるわたしたちにとって、小説とセットの朗読というのは、あらためて定義する必要があるものなのでしょう。


【小説の文章とセットの朗読は、文字で語る〈語り手〉を追体験する行為である】


こう定義することで、わたしたちは小説(=音声では届けられない「言葉の厚み」を持った作品)を読み深めることができるようになります。そして、朗読の過程で、他者(虚構の作品世界に存在する〈語り手〉)の思考と身体を体験することにより、脳を成長させる(脳のネットワークを広げる)ことができます。うれしいですね(^^♪


小説が生まれる明治時代以前からの「朗読は音声表現だ」という通念に引きずられることなく、軽やかに朗読の概念をアップデートしましょう♪


最初に書いたように、朗読は、文章とセットで存在します。小説の誕生から120年ほど遅れて、小説とセットの朗読が誕生したのだと思います。小説や現代詩のベストパートナーとして存在する朗読は、(何度も繰り返したい!)大人の脳も成長させてくれます(^^)

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Salon de Marikoのロゴは、ハートの形をモチーフにしています。文学作品を味わう過程と時間を、朗読で、人と共にすることで、心(脳)が豊かに育つことを表しています。また「サロン」は、人の温かみのある上質な学びの時空間を表しています。

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